ブラジルの鉄道1973年

1973年の夏に南米に行く機会に恵まれ、ベネズエラとブラジルを訪問しました。ブラジルは戦前に移民した大叔父を訪ねて行ったものです。 サンパウロに2週間程滞在し、その間、港町サントスと日本人移民が多く入植しているパラナ州のロンドリーナに鉄道に乗ってつれて行ってもらいました。そのときに撮った写真です。 サントスまで途中のインクライン区間に乗車できたのは貴重な経験でした。何せ地球の裏側ですので、その後行く機会もないのですが、今では長距離の鉄道旅客輸送はほぼ無くなっている様です。

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サントス-ジュンジャイ(Santos-Jundiai)線1973年8月10日撮影
ブラジル第2の大都市サンパウロ近郊の町ジュンジャイと港町のサントスを結んでおり、コーヒー豆の輸送用に早くも1867年に開通しました。 途中、サンパウロ側のパラナピアカバとサントス側のライース・ダ・セーハ9kmの間で790mの標高差があり、ケーブルカーの様にロープで列車を引き上げるインクライン方式が採用されていました。 1901年にもう一本増設する形で複線化され、乗ったのはその新線の方です。旧線はこの時はすでに翌年開通するラックレール線に改造中でした。 長大な区間なため、いくつかの区間に分けて巻き上げられており、ロープにつかまり、またロープとロープの接続区間は自走する「ロコブレーキ」という特殊な機関車が使用されていました。 1974年にはラックレール線が開通し、インクライン線は1981年まで運行され、廃止されました。ラックレール線も現在では貨物輸送のみとなっているそうです。
パラナピアカバの機関区のロコブレーキ。ここからロープにつかまって下って行きます。ロープの干渉を防ぐためか、レールが3本あります。軌間は1600㎜のブロードゲージです。
工事中のラックレール線。翌年の1974年に開通します。
交換区間。この時は結構旅客列車と交換しており、列車本数は結構あった様です。ステンレス製の近代的な客車が登って行きます。
別の交換区間。今度は木造のクラシックな客車と交換です。
急坂の終点ライース・ダ・セーハ。
ロープ区間の始まりの部分。ロープにつかまるまで、ロコブレーキが自走します。ロコブレーキは1901年ロバート・スチブンソン社製。
サントス駅。帰りにサンパウロまで乗った列車はクラシックな木造車でした。
(サンパウロ)ジュリオ・プレステス駅1973年8月13日撮影
この当時はパラナ州方面に向かうソロカバナ線長距離列車のターミナル駅でした。
すでに長距離列車の本数は減っており、近郊電車の駅として賑わっていました。
パラナ州 ロンドリーナ駅1973年8月14日撮影
パラナ州は日系移民の多くが最初に入植した場所で、大叔父もここに入植したそうです。ロンドリーナはパラナ州の中でも日系人の多いところです。
一日一本の夜行列車が運行されていました。この線の軌間は1000㎜のメーターゲージです。
サンパウロの地下鉄1973年8月11日撮影
翌年(1974年)に開業する地下鉄の工事現場を見学しました。1600㎜のブロードゲージが採用されています。今では5号線まで開業し、さらに建設工事が進んでいる様です。