東武鉄道熊谷線

高崎線の熊谷から利根川のほとりの妻沼まで10.1kmを結んでいました。
戦時中、軍命令により、群馬県太田市の中島飛行機に資材を運ぶために建設され、東武小泉線の西小泉まで繋げる予定でした。
第一期として熊谷~妻沼間が1943年に開通しています。
その後、終戦により計画は中止され、利根川を渡ることはありませんでした。
そのため、他の東武鉄道の路線とはまったくつながりのない、独立した路線でした。
そもそも軍命令で出来た路線のため、沿線住民の利便性は考慮されておらず、ほぼ一直線に西小泉を目指すルートでした。
全線開通の話もあった様ですが、実現せず、1983年大した反対もないまま、廃止されました。
車両は1954年に導入されたキハ2000が3両あっただけです。1977年の訪問です。
1977年4月17日撮影

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キハ2000形キハ2003
東武の熊谷駅は秩父鉄道熊谷駅の一角にありました。
熊谷~上熊谷間は秩父鉄道と並走していました。
今でも線路が残っています。
熊谷
キハ2000形キハ2003+キハ2002
1954年東急車輛製。
加越能鉄道キハ125と酷似しています。
多客時は2両編成で運転されていました。
妻沼~大幡
キハ2000形キハ2003
妻沼~大幡
キハ2000形キハ2003+キハ2002
妻沼~大幡
キハ2000形キハ2003+キハ2002
妻沼
キハ2000形キハ2003+キハ2002
妻沼
キハ2000形キハ2003+キハ2002
妻沼
妻沼から利根川に向かってまっすぐに路盤が伸びていました。